2010/04/30

転機

元々色白で日焼を嫌い、旅行をするなら日本やヨーロッパと思っていた私は、ハワイは仕事が無かったら一生来なかったかもしれない、まったく興味の沸かなかった地でありました。ところが住んでみたら、もう離れられない!最初の1年は仕事の都合上日本とハワイを何度か往復、2001年からは完全に移住。

別に海にも行かないし観光もしないので、生活はいたって普通。でも全てが楽。通勤は遠くても車で 15-30分。満員電車にも乗らないし、気候も年中暖かい。寒い暑い痛いが苦痛な私には天国!仕事を沢山しても、まだ時間がある。毎日余裕で自炊も出来る!まだ最初の1年半はガンガン冷房の効いたオフィスで仕事をしていたので、空調だけは免れること出来ず。

そして沢山寝ました。それでも、疲れが全部抜けるのに、実に2年近くかかりました。病気で2-3日寝込んでも全然疲れがとれなかったのは当然だったのかも。

このあと、体のクレンジング(デトックス)、自然療法などなどに出会い、激的な変化を迎え、夢の便秘解消!アレルギーの改善、化学的な基礎化粧品からの脱却、冷え解消、老化速度の減速などなど、様々な恩恵を受け、体が自然に反応するように体質が変わったと同時に色んな実験/研究を始めるようになります。

この恵まれた環境に心から感謝。

東京での生活 3

25歳から始まった花粉症とアレルギー性鼻炎も年々酷くなるばかり。体の免疫機能も麻痺して、正月や連休でないと風邪もひかない。調子が悪ければ医者か薬。自分の体調や体質をコントロールするなんて出来ないと思っていました。

平均睡眠時間はずっと5時間。土日に昼まで寝ることでなんとか帳尻を合わせる始末。忙しい時に残業に休日出勤もあたりまえ。三十路を過ぎて急激に老化が進行し始め、生活を変えない限り、その速度は加速度的に増すのは目に見えていました。

そんな私が、32歳の時に仕事でハワイ駐在になり、その後移住、色々なカルチャーショックを経験しながら、自身の健康に大きな転機を迎えます。

東京での生活 2

冷えも相当酷かったと思います。クマは二十歳前から酷くて、アイクリーム無しでは居られませんでした。これは体質で治らないと思っていたけれど、冷えが治るとクマは治ります!!アイクリームを塗りたくったお陰で、クリーム成分が目の下に固まって沈殿してしまい、私の目の下には油の塊が沢山残っています。涙。生理痛も相当酷かったです。これも冷えが原因。

とはいっても、まだ20代から30歳前半の私は、若さ故、何を食べても、夜更かしをしても、それほど見た目に大きなトラブルが現れず、肌の乾燥や疲れ冷え生理痛と戦いながらも、一応周囲には「肌が綺麗」と褒められることも多く、食べたものが体を作るなんて、全く本当のことなのかと傲慢に思う始末。ひたすら基礎化粧品に命をかけ、自分の体を労るすべを間違い続けていました。

東京での生活 1

バブルも花盛りの頃、朝6時起きで1時間かけてお化粧にお洒落して、実家から1時間の青山にあるオフィスへ出掛け、バリバリおじさんのように仕事をする毎日。

楽しく充実した生活の反面、オフィスの空調による肌の乾燥と体の冷え、連日のハイヒール着用による足の疲れと、その他ストレスフルな日常。それが当然の生活であり、受け入れ適応するために、化粧品への投資はエスカレートするばかり。

超乾燥肌に対処するため、高級な美容液/アイクリーム/クリームなどは薬のように1日に何種類も何度も塗っていました。25歳過ぎから、4-50代用の基礎化粧品を使いクリームや美容液1瓶に数万円は当たり前。「美と保湿」のためには留まるところを知らず。お金がかかっても、なんとしても一生続けるつもりでした。1日でも塗らないで寝ると、砂漠のように顔の肌が乾燥しておばあさんになってしまうのではないかという恐怖との戦いでもあり、また高級化粧品とお手入れだけが唯一この超乾肌を救ってくれると信じて止みませんでした。(この後ハワイで、肌断食を何ヶ月もして、化学基礎化粧品からは全部卒業することになります)。

ストッキングは、もう10年以上履いていませんが、あの頃、ストッキングとハイヒールを履くのは非常に辛かったです。そして、常に足が痛くて怠く、疲れていました。